2016年2月3日水曜日

書評『スポーツ学の射程』。感慨一入。

 「図書新聞」が『スポーツ学の射程』を取り上げてくれました。
 評者は坂上康博氏。とても良心的で,こころ温まる書評になっています。人間は加齢とともに味がでてくるものだなぁ,と感慨も一入です。


『スポーツ学の射程──「身体」のリアリティへ』(井上邦子,松浪 稔,竹村匡弥,瀧元誠樹編著,黎明書房,2015年9月刊)は,わたしの喜寿のお祝いとして企画・刊行された,とてもありがたい本です。感謝感激の本です。

 
ことしの1月の奈良例会で,100回を数える研究会を支えてくださった「ISC21」(21世紀スポーツ文化研究所)月例研究会のメンバーの人たちが,わたしには内緒で,密かに企画し,刊行まで漕ぎつけてくれた,貴重な労作です。この研究会を始めたころのことを考えますと,まったく夢のような世界の現出です。年数にすれば,すでに,10年以上もこの研究会をやってきたわけですので,当然といえば当然なのですが・・・・。

 当時は,若い研究者としてスタートを切り,これからどうなっていくのか,まったく未知数の若者たちの未来が不安で仕方がありませんでした。が,どうでしょう。この10年余の間に,みごとに一本立ちした立派な研究者になっているではありませんか。正直にいって,これは感動ものです。もちろん,欲をいえばきりがありません。もう一踏ん張りすれば,もっと面白い世界がみえてくるのになぁ・・・と思いつつ,自分自身がこの年齢のときになにを考え,どんな文章を書いていただろうか,と反省もしています。それに比べたら,逞しいのひとこと。まさに,立派そのもの。

 みんなそれぞれが,それぞれのペースで,みずからの道を切り拓いています。これだけ,研究のテーマも,問題関心も異なる集団が,10年余もの間,原則として月1回の研究会で大まじめに議論を積み重ねてこられたこと,それ自体が奇跡としかいいようがありません。でも,よくよく考えてみれば,共通のテーマももっていました。それは,思想・哲学にいかに通暁しながら,スポーツ史・スポーツ文化論に切り込んでいくか,という課題でした。

 そのためには,思想・哲学の専門家の人たちの力を借りることが不可欠でした。その意味では,幸運なことに西谷修さんが,初めから身近にいてくださり,何回も,何回も,わたしたちの研究会ために足を運んでくださり,噛んで含めるようにして,思想・哲学の手ほどきをしてくださいました。そうして,亀のような歩みでしたが,少しずつ,少しずつ,思想・哲学のトップの議論に接近することができました。

 その集大成が,先月の第100回記念・奈良山焼き例会でした。当初,予定していましたゲスト・スピーカーは5名でしたが,当日,飛び込みでもう1名の方が加わってくださり,計6名もの,それぞれジャンルのことなる思想・哲学の専門家の方々にお話をしていただくことができました。こんな贅沢な会は二度とできないでしょう。それもこれも,ひとえに西谷修さんあってのことです。ほんとうにありがたいことです。

 『スポーツ学の射程』も,こんな研究会の積み上げの結果としての所産です。しかも,この研究会を支えてくださった世話人の第一世代(4名)から,第二世代(4名)へのバトン・タッチも,この企画・刊行をとおして実現しました。こんな嬉しいことはありません。これは,第一世代の世話人の人たちの,きわめて「大人的」な判断の結果です。ありがたいことです。

 もう,これで心置きなく,わたしの「幕引き」はいつでもできる,というお膳立てができあがりました。第100回例会も,第二世代の人たちが頑張ってくれて,素晴らしい盛り上がりで通過することができました。このあたりがタイミング的にはいいなぁ,と密かに思い描いています。

 こんなタイミングのときに,『スポーツ学の射程』の書評を「図書新聞」が取り上げてくれました。伝え聞くところによれば,「図書新聞」が,この本に注目し,評者を選んで依頼した,とのことです。そして,わたしたちの意図するところのツボをはずすことなく,坂上康博氏が的確に評論してくださいました。ありがたいことです。

 これで,いよいよ,わたしの構想してきました「スポーツ学」なるものが,少しずつ市民権をえるところにやってきたなぁ,とひとり愉悦にひたっています。あと一息で,確実に,「スポーツ学」を世に送り出すことができるという手応えもえました。

 こんなことを,あれやこれやと思い出させてくれる,今回の書評でした。
 至福のひとときでした。

 そして,坂上康博氏に感謝です。ありがとうございました。
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